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 [企業訪問] 森工業

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  ブルースの心で鉄と付き合う

森工業 代表 森 香一郎さん



 

           森工業の皆さん。左から中林さん、森代表、森正樹さん


 森工業は豊中市今在家にある鉄工所です。従業員は2人。

 超高圧配管溶接と、芸術性のある店舗オブジェ製作を仕事としています。この2つの組み合わせでも異色ですが、今年60歳になる、代表の森香一郎さんは、それ以上にユニークな経歴の持ち主です。

 キーワードは「ブルース」。




●大手重工メーカーも手に負えない配管を担う

 森工業のメインの業務は、高圧・超高圧の油圧配管溶接です。
その技術の高さは、大手重工メーカーが手に負えない配管の製作・溶接を頼んでくるほど。例えば、火力発電所でタンカーから石炭を下ろすクレーンの油圧配管の仕事があります。建設から数十年を経て、巨大設備の補修が必要です。しかし、設備を設計した技術者は既に定年退職しているため、設備の分かる技術者がいません。森さんは地上50mの高さで配管を調べ、新たな部品を製作し、2000トンのレッカーと10人のとび職人を指揮して交換修理を行います。たいへん厳しい作業です。後に続く技術者はおらず、森さんは日本のエンジニアリングの将来を憂えています。





工場内の様子

バナナホールのオブジェも

 一方、素材の“鉄”は共通するものの、全く違うタイプの仕事として、店舗オブジェの製作も行っています。森さん自身もデザインをしますが、最近では中林昌美さんが絵を描き、森さんが技術的な指導をしています。中林さんは美術大学出身の異色の職人です。

  北堀江にあったギャラリー・ソコ(現在は福島に移転)や、神山町のバー「binoche(ビノシュ)」、梅田の東通りにあるライブハウス「RAIN DOGS」の外装オブジェなどを手がけました。とくに「RAIN DOGS」では内外装とも製作しています。

  最近では、昨年、大阪の淡路にあるカバン屋さん「ARUDY」のショールーム外階段を製作しました。へんてこな階段で子どもが興味を持つそうです。
  何より有名なものでは、かつて梅田にあったバナナホールのオブジェをつくったのが森さんです。なぜ、鉄工所の森さんがバナナホールなのか。ここでキーワードのブルースが登場します。





「ARUDY」の外階段


バナナホールのオブジェ

●日本のブルース草創期に関わる

 森さんは鹿児島県の徳之島出身です。この島で少年時代を過ごした森さんは、沖縄からの短波放送で流れるブルースに魅了されました。当時はベトナム戦争の時代で、多くの黒人兵が沖縄の米軍基地で出動を待っていました。彼らのための音楽がブルースだったのです。
森さんは10代で島を離れ、大阪の鉄工所に就職しました。当時の日本はグループサウンズの全盛時代。ブルースを求めてジャズ喫茶を訪ねましたが、そこでもブルースを分かる人はいませんでした。仕事を続けながら、森さんは15歳でブルースマンとなりました。大阪代表として姉妹都市シカゴのステージに立ったこともあります。

 「誰もやっていないなら、自分でブルースの喫茶を作ろう、ブルースとギターで飯を食っていこう」と決心し、森さんは梅田に「ヴィックスバーグ」という店を出しました。しかし、始めてはみたものの、1日に多い時でも5人の客しか来ません。ある日、当時『ニュー・ミュージック・マガジン』の編集長だった音楽評論家の中村とうようさんが、噂を聞きつけて来店、「1年以内にブルースを流行らすから」と言い残して帰りました。果たして、日本にブルースブームが到来、1974年には第1回ブルースフェスティバルが開催されました。このときは1日に300人の来客があったそうです。店を10年ほど続け、順調に進み出すかと思われた頃、火事で店を失い、森さんは再び鉄工所の仕事に戻りました。

 それでも、ブルース喫茶時代のネットワークが全国に広がり、森さんのもとに「バナナホールをつくってくれ」という依頼が来ました。ほかの店舗の仕事についても、ブルースが縁になっています。

 ブルースには自由をめざしたアメリカ黒人の心が歌われています。ブルースの歌詞は日常の仕事のことなどです。森さんはブルースから「執念で自分の仕事を守り、やり続けること」、「自由なアイデア」を学びました。ブルース音楽は森さんにとって死ぬまでのテーマです。




シカゴにて(右端が森さん)




●鉄を自由自在に扱えて初めて一人前の職人

 
ブルースは、森さんの仕事にどう影響しているのでしょうか。仕事にも“執念”と“アイデア”が注がれています。森さんによれば、人並みの溶接技術を習得することはそう難しいことではありません。しかし、生きていくためには何かそれに附随するものが必要です。図面通り溶接しようと思うだけではモノが作れません。

 森さんも20年この仕事を続けて初めて鉄がいうことを聞くようになったといいます。今では鉄の性格もよく分かり、鉄をこうしようと思えば、何気なくそうなるまでになっているそうです。

 そこには溶接棒を2本使ったり、垂らしてみたり、磁石を使ったりという遊び心が盛り込まれています。中林さんは時々ギャラリーで個展を開きます。作品には芸術性だけでなく、森さんの技術的な工夫も盛り込まれています。例えば、鳥のオブジェ。これはステンレスと鉄と銅を溶接しています。銅は融点が低いので、一緒に溶接するのは困難です。そこにはあらゆる場面で何とかしてきた経験の連続が生きています。残念ながら、個展を見に来る溶接屋はいませんでした。「○○屋が付けば専門職。人にできないことをやる」という自負が森さんにはあります。より深く鉄を理解するため、最近では日本刀の研ぎも習われているそうです。

  そんな森さんも数年前までは、引退して田舎の徳之島に帰ろうと考えていました。しかし、息子の正樹さんが「この仕事をやりたい」と森工業に入ってきました。今の時代、鉄工所は難しい仕事です。息子さんが生きていけるよう、仕事を取り、技術を教えなければいけません。息子さんを一人前の職人に育てるまで、しばらく森さんの引退はなさそうです。



鳥のオブジェ


正樹さんを指導

 一通りお話を伺った後、工場内にある森さんの部屋を見せていただきました。部屋は卵パックを使った防音壁で完全に覆われ、1万5000枚のブルースのLPレコード、大事なギターが納められています。音楽に疎い私にもそのすごさは分かります。

 森さんは仕事が終わると毎晩この部屋にこもり、ギターを弾いてアイデアを練ってきたそうです。それはオブジェを作るのと同じだといいます。“執念”と“アイデア”がここから生まれています。

 森工業の皆さんには長時間にわたり取材にご協力いただき、ありがとうございました。非常に興味深い取材でした。もっと森さんのことを知ってほしい。心からそう思います。





 2009.12.11取材 濱名


森さんの部屋

 森工業
 豊中市今在家14-16
 TEL・FAX:06-6866-6745
 (代表 森 香一郎さん)




               

 
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